2020/06/02 11:03

の記事は、「Dish up Hamanako」の店主の女性と、広報スタッフとしてHPを管理する書き手(私)との関係性から生まれたエッセイです。


【椅子のある暮らし】

デンマークの家具メーカー、カールハンセン&サンのCH24。通称Yチェア。巨匠ハンスJ.ウェグナーが1950年代に生み出し、今でも人気を誇る名作で、背もたれとアームを一体化させた独自のデザインが特徴だ。

樹種が選べて、好きな色をオーダーできる。緩やかなカーブが背中と肘にフィットし、体への負担が少ない。座面はペーパーコードを編んだもので、座ると体の形、重みに合わせてしなるからこそ座り心地がよく、使い続けるごとに「自分だけの椅子」へ成長していく。

そして何より、洗練されたフォルムが美しい。
「飽きる」という概念からは程遠い、唯一無二の存在。


【うっかり生きている】

と、いうのを先月学んだのだけど、「そういえばこの椅子見覚えあるなあ」と。よく考えるとここ10年付き合いのある骨董店の店主宅の、ダイニングの椅子がYチェアだった。

私は知らんうちに、ずっとその椅子に座ってお茶を飲んできた。

大きなダイニングテーブルに合わせて6脚ある椅子は、木の部分はブラック塗装、ペーパーコードはナチュラルカラー。おそらく、この家を建てた30年近く前に購入したはず。

彼女はアラビア食器のアネモネシリーズを「新品の現物が売っていた時」に百貨店の外商からセット買いしたほどの人なので(本人が20代の頃)、何か人生への姿勢が違うのだろうと思った。

食器棚に並ぶ陶磁器に「おかしなものは一つもない」と言う。
一番好きなのは古伊万里。
ウェッジウッドなどもさらっと並ぶ。
いいと思えば現代の作家さんの作品も買う。

でも例えば、明治期の会津塗りの美しいお盆を前に、私たち(店主以外のヨガのメンバー。そもそも私たちはヨガつながりで知り合った)が陶器の湯呑みを何気なく置くと、教えてくれる。

「こういう漆塗りのものは“上手”と言って、階級の高い人たちが使うもの。陶器の民芸品的なものは“下手”と言って、日常使いのもの。上手に下手を合わせるときは、必ずコースターを敷いて。日常使いの陶器は表面がざらついているし、それが漆を傷つけるから」

その一言に、芯が通る。

【おかしなものは一つもないを体現】

「これも販売しようかな?」

そう言ってざっくりと並べてくれたお皿を、私が写真に撮ってみて、詳細を聞くとどれも出自のしっかりした子たちばかりだった。

一つめはイギリスの「リッジウェイ」のお皿。

1960年代にはロイヤルドルトンの傘下に入り、現在では「リッジウェイ」の名前で製作はされていない。

上品な花と鳥の模様はトランスファー(転写)によるものだけれど、薄く軽く、日常使いにとてもいいと感じる。

もう一つ、白地に小花が並ぶ小皿が5枚。やはり白とブルーの配色で、「日本で買ったのよ」的な軽い解説。

でもきちんと調べると、こちらは国産。blue rose fine china。1960年代のもので、bone chinaは牛の骨灰を混ぜて透明感のある白を叶えたもの。fine chinaはそれを含まない、白い磁器。
海外のサイトで日本のヴィンテージ食器として、オークションなどに出されているを散見した。

家のあちこちに、こういうものがたくさんある。

クリストフルのシルバーのカトラリー。鏡のように美しくて、写真を撮ると自分が映り込む。
イングランドで1966年まで製作された「SHELLY」のティーセット。焼き物とは思えないほど薄く、軽く、繊細で優雅。

この世には知らないもの、知らないこと、知らない世界が広がっている。それを知らないままでいることは、きっとおそらく勿体無い。











【でも強要はしない】

店主は自分の審美眼だけで人生を組み立ててきた方なので、ものすごく情に厚くて、知識が豊富で、勉強家だけれど人への強要はしない。

小出しにされる情報はどれも興味深く、ウィットに富んでいるものの、「私のことなんか書かなくていいわよ」という姿勢を貫く。

でも、ほんのちょっと毒を含んだ「ものへの愛情」「生活へのこだわり」「本物を欲しがる姿勢」こそが、人へ伝えるべきことじゃないかなと思う。

例えば私が「このSHELLYとかウェッジウッドは、どうして買ったんですか?」的なことを聞けば、こう返ってくる。

「私が日常使いするために買ったのよ。でも、私のことなんていいのよ。あなたが使ってみて、どう感じるか。それを言葉にしてよ」

自分ごとに落とし込んでから言葉にする方が、それはもちろんいい。でも、自分ごとに落とし込むまでにどれほどの時間が必要か。それを考えると途方もない。

彼女が最も愛する日本の骨董は、おそらく愛が深すぎて一言や二言では語れない。そして言葉にならない「愛おしさ」の世界が広すぎて、ちょっとやそっと聞いたくらいではわからないことが多い。

多分人が好きなんだろう、ということはわかる。人だけではなくて、命を持って生きている動物、植物、世界全てへの愛があり、だから人が心を込めて作ったものが好きなのだ。

「おかしなものは一つもない」

その姿勢は、「目の前にいる人すべてを大切にする」ということを意味していると思う。